家族ぐるみでお世話になっていたおじさんが、
一昨日亡くなられた。
いきなりの電話だった…。
亡くなられたその夜に家族でおじさんの家へ向かった。
僕は、家に出入るするのが、3年振りぐらいだった。
おじさんの顔を見るのもその時以来だった。
外の風景も家も懐かしい感じがした。
周りは変わらずだった。
だけど、、
布団でずっと目をつぶっているおじさんを見て、
時間を感じた。
3年という間で、自分が思っていた以上に
おじさんは年をとっていた。
会って話した時の姿を覚えていて、
その時はまだ元気であったからかもしれない。
おじさんはその後、寝たきりで生活をしていたことを
両親から聞いた。
おばさんが介護をし、おばさんが具合を悪くしてからは、
おじさんの横にベットを置いて、
娘さんが世話をしてくれていたみたいだ。
おじさんは、95歳で自宅で息を引き取った。
年齢で言うと、
亡くなるのはいつ来てもおかしくないこと、だけど
死は突然だったようで
当日も普段通り、普通に話をして変わりなく
いたみたいなのに昼に急に静かになり、
そのままスーぅっと、息を引いたようだ。
頭には、あったと思うけど、
あまりにも突然のことで、当の家族はびっくりしたと思う。
おばさんを見てそのことを強く感じた。
おばさんはよく話す人だったけど、
その日は静かだったから…。
おばさんは、泣くのをこらえていた。
でも目が腫れ過ぎて、別人になっていたので
明らかだった。
おばさんの悲しさが、胸に染みた。
そんなおばさんを見ながらまた、時間を感じた。
おばさんも元気だったのに、
今は、コルセットを腰から胸のあたりまで
巻いて、かなり痛々しかった。
理由を聞いたら、腰の骨折をしたからだって言う。
女性に多く年齢のせいと言ってたけど、
それも関係はあると思うけど、
介護の影響が大きかったんだと思う。
責任感が強い人だったし、弱音を吐かない人だから
我慢していたんだと思う…慢性的なもので
続いたために限界が来たんだと思う。
時間を知ったとともに、老いについてはじめて怖くなった。
当たり前が当たり前でなくなるのが怖い、
気持ちの整理をどうやってつけるのだろうと…。
昔のようには、戻らないし、戻れないことがある。
おじさんは寝たきりになってどう思ったんだろうか。
晩年のおじさんは歩くことができなくなった。
だけど、娘さんに最期を面倒を見てもらえ、
最後の最期を迎えるまで、ほんとに幸せな生き方をしてきたと
勝手ながら思う。
苦しみもなく病室でなく、家で家族とともに一緒に
過ごした中で逝けたから。
ただ、先を絶たれて残る者は辛い。
おばさんは寂しいだろう。
僕は、妻が先に逝くのは見たくない。
できることなら、自分が先に死にたいと
考えたことがなかったことを頭に思った。
常にいる相方がいなくなるのは、寂しいしかない。
父親は70歳になった。
両親も死へと毎日近づいてる。
身近な人の死に触れ、ふと自分の両親のことも
同じように思った。
両親には後悔のないように最期を迎えてほしいと
願っている。
僕も両親に対して、後悔のないようにしたい。
おじさんの娘さんはこう言っていた。
お父さんの死の前日、
「黒毛和牛を奮発して食べさせてあげてほんとによかった。」
「チョコレートも早く食べさせてあげればよかった。」
少し前に、「バレンタインデーのチョコを買ってきたよ」と
お父さんに伝えた。
お父さんはチョコが大好きだったから、
「もう食べる?」って聞いた。
お父さんは、バレンタインデーの日に食べると言ったので
チョコレートはそのままにした。
まったく後悔のないこと、それは難しいと思う。
でも、常に今をできることをして、できる限り、
あとで後悔することなんてことは、しない方がいい。
終わりがあるからこそ、幸せに生き
あらゆることに感謝し、少しでも人の為になることを続けて
最期は、人に見送られて終わりたい。