せどりの先生 神田謙一の裏プロフィール

 

神田謙一

生まれも育ちも大阪。

2019年現在 36才男 既婚者

 

趣味

ジム、読書、ツーリング、映画鑑賞、洋楽鑑賞、
せどり、快適にいること、効率を図ること、
神社探索、山&散歩、心理学(人とは何か?の追究)。

2018年から、スマホゲーム。荒野行動だけしています。

 

新たに趣味に入れようとしているのが、

キャンプ、スケボー、ボルダリング。

 

特技

速読、せどり、剪定。

子供の時は、走ることが得意でした。

 

苦手なこと

ゴマすりや人の機嫌取り。

そういう意味でサラリーマンは向いてなかったと
よく思います。

 

好きな人

松下幸之助さん
稲盛和夫さん

 

嫌いな人

実力がないのに、偉そうな人間。
会社勤めの時の上司や先輩がそうでした。

 

長所

忍耐強いところ。継続できる。

短所

こだわること。執着する。

 

幼少期の神田謙一

僕の通っていた保育園では、秋冬になると、日課がありました。

それが、乾布摩擦。

上半身裸にさせられて、タオルで身体をこする
乾布摩擦という健康法をさせられていました。

 

幼い時は、これが何の意味があるのか、

全くわからず、
ただ言われるままにしていましたが、

寒くて嫌で嫌で仕方ありませんでした。

 

擦って暖かくなるのはその箇所だけで、

寒いしか記憶がありません。

 

今の子供は、こんなことおそらくやっていないんでしょうね。

時代は移り変わっていることを思います。

 

でも、乾布摩擦のおかげで、

風邪に引きにくい身体になったんだとは思います。

 

小学生の時も風邪を引いた記憶はあまりないですし。

 

僕の幼少期は、とにかく朝が苦手で嫌いでした。

異常に眠かったんですよね。これは、記憶をたどると
親が悪かったですね。

 

親の生活リズムに合わせて寝て、子供の生活リズムで
なかったからです。

 

だから、ほんと異様に眠かった。

 

朝が起きれず、しんどいため、
保育園に行きたくないことを駄々こねても、

母親には、、無理やり連れて行かれました。

ポンキッキーのテレビを見ていて離れたくなかったのを
覚えています。

 

保育園に行けば、土遊びに鉄棒で逆上がりの特訓をしてました。

 

保育園で印象に残っていて、楽しかったのは、ザリガニ釣り!

プールにザリガニを放出し、ザリガニの住処を作っていました。

 

そして、スルメをエサに簡易な釣り竿を
作って、釣り上げる遊びがありました。

こんな遊びも、今の子供はしてないんだろうなーと思いますね。

今思うと、なかなか変わった保育園ではありますね笑

 

同じは嫌。人と違う表現

 

発表をする劇の練習でアヒルの子の物語を演じることがありました。

僕は一律に先生から言われる演技をやるのが、なぜか納得できなくて、
その物語の内容によって演じたくて、

自分だけ勝手なことをしていました。

このことを今こうして、記憶をたどって思うのですが、

僕は、自分の思うままに幼少期から生きたかったんだなって
表現したかったんだなって気持ちに気づきました。

 

お絵かきの母親の顔に先生から怒られる

保育園側の提案で母の日へのプレゼントで、
みんな自分の母親に絵を描いて、

その絵を感謝とともに贈ろうという内容のはずが、、

僕は、その直近で遊園地に両親に連れていってもらった出来事の
絵を描いたのですが、

母親の顔を怒った表情のものにしていました。

 

その理由は、遊園地の戦隊モノのアクション演技を見るのがあって、

それが、後ろ過ぎて、前には、背の高い親などもいて、
見えなかったことに腹を立て、泣いて駄々をこねたからです。

そのために、母親が怒ってその顔になぜかしていました。

 

怒った顔の母親の表情とともに、

言葉はたぶん、お母さん、いつもありがとう。

その絵なんですが、先生に顔の書き直しを言われたのですが、
僕は、書き直すことをしませんでした。

それから、母親に渡す前に絵を見る機会があって、
絵を見たら、

なんと、母親の顔が笑った顔に書き換えられていました。

それを知って僕が取ったことは、

 

前に描いたように、描き直していました。

 

子供って面白いですね。
母親からしたら、僕は面倒な子だったと思います。

 

この出来事を大人になった自分が解釈すると、

僕は不器用だったんだと自覚しました。

正直でいたい、ありのままでいたい。

僕の生き方がここに現れていることに、
驚きました。

 

幼少時に取っていた言動は、

やっぱり自分の中にあるものなんでしょうね。

 

小学校に入学した神田謙一

学校の授業は、半寝で聞いていて退屈でしたね。

勉強は嫌いでした。

僕が楽しみにしていたのは、常に友達との遊びで、

僕たちは、ファミコンをみんなの家にいっては、
持っているソフトが違うので、

それを楽しんでいました。

 

はじめての興奮

スーパーファミコンを買ってもらい、
マリオブラザーズをしたことの記憶は

今でも鮮明に覚えています。

とにかくリアルで、スケールの大きさに興奮しました。

毎日、やり込みました。

 

続きは、また気が向いたら、書き綴っていきます。